02年5月17日  242頭    


動物園のゴリラを最近みたことある?

動物園にいるゴリラはニシローランドゴリラという種類ということ。

ゴリラは正確には3種類の亜種がある。

西アフリカに生息するニシローランドゴリラでおよそ1万頭が生息している。

ザイール東部には約4千頭のヒガシローランドゴリラがいる。

そして東アフリカ、ザイール・ウガンダ・ルワンダにまたがる3000メートル級の

山岳地帯にはマウンテンゴリラが生息している。

マウンテンゴリラは動物園には一匹もいない。数も242頭ときわめて少ない。

242という数字は1981年時の生息数であり、現在は生息域も狭められ、

もっと少ないだろう。

あと何年この地球に生き残れるのだろうか。

30代半ばの女性が、1967年たった一人でマウンテンゴリラが生息する

山中にはいり、13年間の調査研究でのマウンテンゴリラとの出来事を

記した本が『霧のなかのゴリラ』。

ゴリラとの出会い・ゴリラとのふれあい・密猟者との戦い・哀しい別れ。

彼女は「はじめに」でこう言っている。

「アフリカで野外調査をおこなっているあらゆる研究者のなかで、

マウンテンゴリラを調査できた私は、自分がいちばん幸福な人間だと

思っている。・・・

 つもりつもった数々の思い出と観察を、ありのままに描けていれば

幸いである。」

この本のなかには文字とおり、彼女のつもりつもったゴリラに対する

深い愛情と慈しみがちりばめられていた。

密猟者達に追われ、人間を恐れていたマウンテンゴリラとの出会い。

彼女がマウンテンゴリラと人間との間の障害を乗り越えたのではない

かと感じた瞬間はこんな感じだ。

「カリソケで調査をはじめて10ヶ月ほどたったころのことだった。

 グループ8のいちばん若い雄のピーナツ(彼女はすべてのゴリラに

 名前をつけていた)は4,5メートル先で採食中だったが、突然食べる

 のをやめ、ふりむいて私をまっすぐみつめた。

 彼の目の表情にははかりがたいものがあった。

 金しばりにあったかのように私は彼を見返した。

 それは問いかけと受け入れの入り交じったような凝視だった。

 ピーナツは深いため息をついて、この忘れがたい

 瞬間に終止符をうち、ゆっくりと採食を再開した。」

彼女がみているのに、逃げずに、彼女の存在を意識しつつ、

採食を続ける。

ゴリラとのふれあいが始まってきた。

「目を見合わせてから2年後、ピーナツは私にさわった最初の

 ゴリラになった」

「ピーナツは私の手をじっとみたあと、立ち上がり、手をのばして、

 ほんのちょっとのあいだ自分の指で私の指に触れた。

 自分の大胆さにぞくぞくした彼は、すばやい胸たたきで興奮をあらわし、

 群れに戻ろうと立ち去った。」

「ムラハ(生後4ヶ月の雌の赤ん坊)はよちよちやってきて、

 私の脚に這い登った。パンツィー(母親)はかなりきまりわるそうな

 面持ちで、私と目をあわさぬようにしながらあかんぼうを

 取り戻しにやってきた。彼女はこどもの尻を調べるしぐさに

 かこつけてムラハを脇の下にかかえると、近くの深い茂みに

 ゆっくりと姿を消した。

 そのすばらしい信頼の表情に接したときの感動を、

 私は決して忘れることが出来ない」

彼女は人間的にも優れた観察者であった。

「観察者はだれも、野生動物の世界では侵入者であり、

 その動物の権利が人間の興味にまさることを忘れてはならない」

ゴリラのグループは1頭の雄リーダと何頭かの雌・子供からなっている。

場合によっては雄リーダの息子(大人)や甥がいたりする。

血縁の絆は強く、子供ゴリラを捕獲する場合には、そのグループの

多数のゴリラを殺さなくてはならなくなる。

成長した雄はグループを出て行く。雄は自分でグループを作るか、

他のグループを乗っ取るかしないと、自分の子孫は残せない。

成長した雌はグループ内に残るか、他のグループに移るか(あるいは

連れ去られるか)、雄同様に出入れがある。

ライオンと同様にゴリラでも子供殺しがある。

雄は他のグループの子連れ雌を獲得した場合には子供を殺してしまう。

そうすることによって、自分の遺伝子をもった子供が早くできる。

グループ同士が遭遇したときは戦いの儀式で終わる場合もあるが、

時には激しい戦いが始まる。

大抵の雄リーダは傷を負っている。

リーダーはこうやって経験をつんでいく。

ゴリラの最大の敵は密猟者だ。

ゴリラの死のうち2/3は人間によるものだ。

「グループ4に近づいた私は・・・・・背を丸めている独りで座り込んでいる

 ディジットに出会った。彼は木陰にいてひどく不機嫌そうだったが、

 私は数枚のスナップ写真を撮ろうと思いついた。

 すると、ディジットは採食をはじめた。彼は私から離れるとき、

 一瞬いたずらっぽい表情を見せ、私の背を葉のついた枝でたたいた。

 これは「さようなら」をいうときの彼のいつものやり口だった」

この若いサブリーダのディジットは翌日こんな最期を遂げる。

「長いあいだ群れにとって重要な見張り役だったディジットは、

 1977年12月31日、この仕事中に密猟者の手で殺された。

 その日ディジットは体に五箇所の槍による致命傷を負いつつ、

 6人の密猟者とイヌをはばみ、自分の妻のシンバとまだ生まれて

 いない赤ん坊をはじめ家族全員を安全な山中の斜面に逃がしたのだった」

「ディジットの死を知ったとき、10年前遊び好きな黒い毛玉のようだった

 ディジットとはじめて出会って以来の彼の全生涯が、

 走馬灯のように私の脳裏を横切った。

 この時以来、私は自分の内にひきこもるようになった」

彼女は密猟者を許さない。犯罪者として徹底的に追い詰める。

見つけた罠はことごとく壊してしまう。

罠で傷ついたゴリラは弱り、いずれ死んでしまう。

彼女は文字とおりゴリラのために生き、ゴリラを慈しみ、観察をした。

どうしてゴリラを研究するのかと訊ねられると、彼女はいつも

「理由なんてないわ。人間だれだって人生にはやらなきゃならないことが

 あるでしょう」

彼女は1985年12月、自分のキャンプ地でなにものかによって

殺されてしまった。

アメリカで平凡なセラピストだった彼女は、ゴリラに魅せられ、

アフリカに渡り、独りでゼロからゴリラと向き合い、現地の人から

「結婚もしていない女」と陰口を言われるなか、密猟と戦い、

ゴリラ研究の第一人者になる。

ダイアン・フォツシー。(1932−1985)

『霧のなかのゴリラ』(平凡社ライブラリー)

<マウンテン・ゴリラとの13年>

羽田節子+山下恵子訳。

彼女の個性がまぶしい。

仕事がえらく忙しい。

なかなか本に向き合う余裕がない。

でもいい本に出会ったよ。

もし、この人と一緒に暮らしたら、俺なんか

まっさきににげ出すタイプだ。

 

          

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